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「作画すごい」は褒め言葉じゃなくて、呪いの言葉

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吹奏楽部をモチーフにした京都アニメーション制作によるTVアニメ「響け!ユーフォニアム」を最新話まで追っかけ視聴。

作画すごいんだけど、「京アニクォリティ」が恒常的にアウトプットできる時代になると、結果として売上げを決めるのは「企画の方向」「キャラの練り込み」「シナリオ」「販路の確保(マーケ)」であるというのが浮き彫りになるだろうと思う。

作画技術は豪華になればなるほど、その陳腐化を早めるのではないかな。かといって目の肥えた視聴者に向けて「品質を下げるわけにはいかない」という死ぬしかない最終ルートが浮かび上がってくる。

作画クォリティを上げれば売れるのか?

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「作画すごい」は褒め言葉じゃなくて、呪いの言葉だよ。グラフィックがどんどん精緻になってるのに、どんどん売上げが落ちていくエロゲメーカーみたいなものだ。絵の力を軽視しているわけではない、と念を押して言う必要はあるけど。

なぜかというと、人は「すごい映像技術」じゃなくて「楽しめる物語」にのみお金を払うからです。だから技術主義になると、色々見失いがち。技術は本来手段であって目的じゃないから。

今鍛えなければいけないのは、人心をつかむ優秀なシナリオライターとプロデューサー(マーケッター)であることは議論の余地がない。技術が目的化し始めると、そのシーンは衰退するしかなくなるという例のあれ。

もちろん個々のスタッフは、その時代で一線級の技術を備える必要があるよ。手を抜くわけにはいかないからね。だから問題は全体を俯瞰して情報量の足し引きをするシナリオライターと監督とプロデューサー(マーケッター)なんだよね。ゼネラリストの判断で結果が大きく左右されるから責任が重い。

だからプロレベルのイラストレーターに指示するのは、「ここの情報量を抜け」「あえてそこは描かないでおこう」とかですよ。描こうと思ったらどこまでも緻密にできる。そんなのは当たり前にできるし、緻密だからといって「すごいね」と言って貰えるだけだから。

時々美少女ゲームのアンケートを見ると、グラフィックの緻密さよりも「シーン数」を増やして欲しいっていう事がわかります。ユーザーが求めてるのは、そのキャラがどういう表情をしたり、どういうシーンに遭遇するかが観たいわけで、必ずしも一枚一枚をスーパーリアルに描写することではないようだ。

「スーパーリアルの先」に何があるのか

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「響け!ユーフォニアム」の背景・エフェクトのスーパーリアル度合いは飛び抜けてる。「やろうと思えばここまでできますよ」というのはわかった。演出意図もわかる。だからといって、ブルーレイを買うか買わないか、というとどうだろうか。むしろ大勢はシナリオや演技が感動的かどうかで判断するでしょう。

大事なのはそのプロジェクトの「ベンチマークをどこに設定するか」だと思う。「作画いいものにしたい」「背景描き込みたい」。わかる。でもどこまで?それやって意味があるの?と自問し続けること。どこを成否の判断となるベンチマークにするのか、話合うことが大事だということ。総視聴回数なのか、パッケージの売上げ数なのか、それとも他の何かなのか。

物語を構成する要素として「それ」が大事なら、こだわればいい。でも例えば作品内で軽妙なギャグを売りにするなら、それは必要ないだろう。作品に盛り込む各要素は目標を達成するために存在するはずだ。腕のある職人がその考えもなしにこだわり続けると、予算も納期もオーバーするし、努力が徒労に終わりかねない。

あ、これ「響け!ユーフォニアム」への批判じゃないよ。むしろすごく楽しんでるし、ブルーレイは注文しました。お話もキャラも面白いし、メーキングやコメンタリーなどの追加要素が楽しみだし、アニメという芸術がこのクォリティまで至ったんだなという記念碑的作品として保存しようと思うんです。夏紀先輩は女神。

響け!ユーフォニアム 1 [Blu-ray]

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